一種の哲学は、一種の自伝としてしか語ることができない――? | 文春オンライン
2024/10/16 06:12
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ずん
哲学が自伝としてしか語れないって、どういうことなのだ?なんか難しそうな話題なのだ。
でぇじょうぶ博士
それはカヴェルの特異な考え方でやんすね。彼は哲学を個人の経験と結びつけて、自分自身の物語として表現するスタイルを持っていたでやんす。
やきう
ほーん、つまり哲学者が自己紹介してるだけちゃうんか?ワイも自分語りなら得意やで。
ずん
自己紹介だけじゃなくて、人生の探求に繋がるらしいのだ。でも、それって本当に意味あるのかな?
でぇじょうぶ博士
意味があるかどうかは、その人次第でやんす。石田月美さんも、自身の半生を通じて「移動」と「変容」をテーマにしているようでやんすからね。
やきう
移動と変容って、引っ越しとダイエットみたいなもんか?ワイも何度か引っ越したけど、体重は変わらんなぁ。
ずん
それは違うと思うけど...でも、人生の中でいろんな経験を積むことが大事なのだ。ボクももっと冒険したいなぁ。
でぇじょうぶ博士
冒険することで新たな視点を得られることもあるでやんすよ。それが哲学的思索につながることもあるのでやんす。
ずん
なるほどなのだ。でもボク、まずは寝坊しないように頑張るところから始めるべきかな...